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未来から来た宇宙人のブログ

「南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記」を検証してみた。(南京事件 兵士たちの遺言)時々更新します。 拡散希望していますのでリンク・コピペの許可は要りません。

「栗原利一氏の証言・記録」を検証してみる。

栗原利一氏と言えば南京事件をネットで検索すれば必ずこの人の証言又はスケッチブックにに辿り着くとも言える人です。

またネットでは栗原利一氏の証言と理解していないでこの人を山田支隊元陸軍伍長と紹介しているブログ等も見かけます。

22分17秒

スケッチブックは下の 「南京事件 兵士たちの遺言」の中でも時々使われています。

www.youtube.com

そこで「栗原利一氏の証言・記録」を検証してみる事にした。

「栗原利一氏の証言・記録」

栗原利一資料集

山田支隊・栗原利一証言(漢字の間違いが多い事と数字の書き方が日本人ではないように思える?ページ)

上の中の 「山田支隊・栗原利一証言」を使って検証しました。

 

毎日新聞 昭和59年8月7日
元陸軍伍長、スケッチで証言/南京捕虜1万余人虐殺
-「真実はきちんと後世に伝えたい」-」

 

記事の中に 

「栗原さんによると、捕虜を殺したのは、十二月十七日から十八日の夜で、昼過ぎから、捕虜をジュズつなぎにし、収容所から約四キロ離れた揚子江岸に連行した。」

と有ります、ところが

 

本多勝一『南京への旅』P307-318
栗 原 利 一 証 言

の中で


 あたりが薄暗くなりかけたころ、田中(栗原)さんのいた位置とは反対側で、捕虜に反抗されて少尉が一人殺されたらしい。「刀を奪われてやられた。気をつけよ」という警告が伝えられた。田中(栗原)さんの推測では、うしろ手に縛られていたとはいえ、さらに数珠つなぎにされていたわけではないから、たとえば他の者が歯でほどくこともできる。危険を察知して破れかぶれになり、絶望的反抗をこころみた者がいたのであろうが、うしろ手にしばられた他の大群もそれに加われるというような状況ではなかった。
 一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。」

 

この二つの証言は同じ栗 原 利 一氏が証言しているのですが別々の内容です。

最初の証言は 「捕虜をジュズつなぎにし」

二つ目の証言は 「うしろ手に縛られていたとはいえ、さらに数珠つなぎにされていたわけではないから、

毎日新聞のインタビューでは「捕虜をジュズつなぎにし」と証言しているのに本多勝一のインタビューでは 「数珠つなぎにされていたわけではないから」と答えています。

同じ人が答えているのにおかしいですよね。

 

つぎに

「半円形にかこんだ重機関銃軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と、集団からわきおこる断末魔の叫びとで、長江の川岸は叫喚地獄・阿鼻地獄であった。田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない光景は、逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な〝人柱〟である。なぜあんな人柱ができたのか正確な理由はわからないが、おそらく水平撃ちの銃弾が三方から乱射されるのを、地下にはむろんかくれることができず、次々と倒れる人体を足場に、うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り、少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか、と田中(栗原)さんは想像する。そんな〝人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。」

 

この中の 「 〝人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。」

「立っては以朋れる」

「以朋れる」なんて日本語はありません「崩れる」が正解です。

漢字を「朋れる」なんて書く事は日本人ならあり得ないです。

 

数珠つなぎの状態では人柱が出来ないのは誰でも想像できます。

繋がっている他の人が足かせになり上に登るのは無理だと言えます。

なので数珠つなぎでは無い事がわかりますが

ところが前は揚子江の川です、後ろ手に縛られているとは言え川に逃げれない事は有りません。

日が沈んで暗くなれば川に逃げても探すのが大変になります。

それに人柱が出来たと言う証言はこの栗原利一だけが言っているので他の兵士は一言もこの人柱が出来た話はありません。

凄い事なのに何故他の兵士は話さないのでしょう?

不思議ですね?

また数珠つなぎなら逆に川に逃げ込むのは無理ですから、全員殺す事が出来るでしょう。

 

また 

一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。」

と証言していますが1時間も続けて撃てる機関銃は多分今でも無いと思います。

その前に故障ししてしまうと思います。

仮に故障しなかったとしても、1時間で撃つ弾の数が尋常では有りません。

1分間に500発撃てるので 「500発×60分=30000発」で半分でも一台の機関銃で15000発も撃つことになります。

何台の機関銃で撃ったのか解りませんが10台なら150000発を使った計算になります。

他の兵隊も 「田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない」と言っているので1時間撃ち続けたことになります。

当然小銃の弾数も尋常な数ではすまないと思います。

 

「第一大隊百三十五名で一万三千余捕虜を降し、敵を武装解除

 

とあるので機関銃以外の人は100名はいたと思いますその兵士が全員1時間も弾を撃つ事が出来るほど弾に余裕が有ったのでしょうか?

それに大隊は普通500名以上です135名なら中隊の人数です。

 

「鳥龍山砲台」と書かれていますが南京に鳥龍山なんていう場所は有りません。

南京にあるのは「烏龍山」漢字で言えば「鳥(とり)」と「烏(カラス)」との違いですが命のやり取りをした場所の漢字を普通、間違えるでしょうか?それとも上のページを書いた人の間違い?

 

「片はしから」 日本人なら普通は「 片っぱしから」では?

 

「その処に石油をかけてもし、柳の枝をかぎにして一人一人ひきずって、川の流れに流したのである。」

 

「その処に」こんな使い方の日本語は無いのでは?

「石油をかけてもし」 「燃し(もし)」普通は「燃やし」だと思うが?おまけに「もし」なら読みにくいので漢字に変換すると思うが?

 

「約一時間一斉射撃が続いた。見渡せる範囲の捕虜は必死に逃げ惑うだけで、水平撃ちの弾を避けようと、死体の上にはい上がり高さ三、四メートルの人柱ができた。 

会津若松出身の第六十五連隊、両角部隊の捕虜収用は、占領当時、新聞で「大戦果」と報道され、総数は一万四千七百七十七人とされていた。」

「三、四メートルの人柱」

自分の身長の倍の高さに後ろ手に縛られたままで人のフニュフニュする体を足場に登るのは不可能だと言える。

人間ピラミッドをやった経験があるが人の上に上がるのは下の人が体に力を込めてもフニュフニュして登りにくい、それが死んで力まない人の上を歩くだけでも相当きついと言える。

 

「捕虜がどうなったかは報道がない。」

 

捕虜の報道をいちいち報道していたらきりがないと思います。

行く先々で捕虜はいるのですから。

 

本多勝一『南京への旅』P307-318

栗 原 利 一 証 言

 

〔注〕。だが生存者が一人もいなかったためか、中国側には直接的被害者の証言ほまだない。ごく最近になって、このとき捕虜を実際に処理した両角部隊の一人・旧陸軍下士官が真相を詳細に語った。」

 

「証言ほまだない。」

?キーボードの打ち間違い?「ほ」と「は」では「あ」と「お」の違いだけど日本語の間違いが多いですね。私なら書き終えた後に読み直して訂正してからページにアップしますが、訂正の作業をしていないのでしょうか?

 

「中国側には直接的被害者の証言ほまだない。」

虐殺が無かったから証言する人もいないのでは?いくら隠そうとしても目撃者はいます。1万人も殺して目撃者も生き残る人もいないのは最大の謎です。

 

「中国に生き証人がいくらでもいる以上かくしきれるものではない。事実は事実としてはっきり認め、そのかわり中国側も根拠のない誇大な数字は出さないでほしいと思う」

 

上の文章では捕虜は一人残らず全員殺した言っておいて?

中国側には直接的被害者の証言ほまだない。」

直接的な被害者は全員殺したと言っているのに?出てこれるの?

「中国に生き証人がいくらでもいる以上かくしきれるものではない。」

ならこの文章は誰が生き証人だと言っているの?そんな人は誰も名乗りでていない。

虐殺が無かったから名乗り出てこないと考えるのが自然では?

 

部隊は一〇日の夜最前線へと移動し、一一日から攻撃にかかった。

日本人なら 「十日」 「十一日」と書くのが常識ですが。

この文章書いたの本当に日本人?

 

「攻撃陣地としていた竹ヤプの竹が、敵弾のため一本のこらずなぎ倒されてしまうほどだった。」

「竹ヤプ」

流石に竹ヤブを竹ヤプの間違いは日本人ならしないと思うが。

「プ」と「ブ」の間違いは典型的な中国人の発音の間違いなのだけどね。

「敵弾」? 「敵の攻撃」又は「敵機関銃」と書くのが普通だと思うが?

 

「二週間のあいだに一個中隊一九八人のうち六五人もが戦死した」

日本人なら「百九十八人」「六十五人」と書くのが普通だけど?

 

「描虜が降参してきたからって、オイソレと許して釈放するような空気じゃ全然ない」

描虜」??「捕虜」が正解だがどうやれば「描虜」なんて漢字の間違いが起きるのか?本当に日本人が書いているのか?「描(えがく)」漢字を「ほりょ」の「捕」の字には間違いようがないのだが。

 

「仮に一〇万殺そうと二〇万殺そうと、」

「十万人」「二十万人」何故わざわざ最初が漢字の「一」でゼロの部分を「〇」を使って書いているのか?本当に日本人?どうもこの文章を書いた人は他の文章でもそうだが漢数字の使い方が日本人離れしている気がする、変換しても私のPCでは「一〇万」とはでないで「一〇〇〇〇〇」か「10万」「十万」「二〇〇〇〇〇」「20万」「二十万」で「一〇万」「二〇万」の変換は出ない。登録していれば話は別だが

 

「幕府山の手前まできたとき、一挙に膨大な中国兵が投降してきた。」

「竹ヤプの竹が、敵弾のため一本のこらずなぎ倒されてしまうほどだった。」

敵兵が?普通なら蒋介石を追って逃げると思うのだが?

 

「中国兵の「廠舎」だった土壁・草屋根の大型バラックのような建物の列に収容した。

収容されてかちの捕虜たちの生活は悲惨だった。一日に、中華料理などで使われる小さな〝支那茶碗″に飯一杯だけ。水さえ支給されないので、廠舎のまわりの排水溝の小便に口をつけて飲む捕虜の姿も見た。」

 

例え水が欲しくて死にかけの人でも、アンモニア臭のする小便を飲むのは不可能です。

ボクサーの意識をハッキリさせるための匂いに使われるのがアンモニア臭なので。

 

「約一個大隊の日本軍が配置についた。なにぶん大勢の移動なので小まわりがきかず、全員をうしろ手にしばって出発したときは午後になっていた。廠舎を出た四列縦隊の長蛇の列は、丘陵を西から迂回して長江側にまわり、四キロか五キロ、長くても六キロ以下の道のりを歩いた。

小型の船も二隻ほど見えた。

捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ、掃虜たちも矛盾に気付いていた。」

 

「先頭が着いてから三時間か四時間たつころ」

話の内容がおかしいのです。

13500人を四列に並べて前後1メートル間隔で歩かせると3375メートルになります。

時速4キロで行進しても6キロの道のりでも2時間半も掛からないで全体が到着します。3~4時間は掛からないなずです。

時速4キロならゆっくりとした行進です。

 

「田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない光景は、

そこで思いついた方法は火をつけることだった。綿入れの厚い冬服ばかりだから、燃えだすと容易に消えず、しかも明るくて作業しやすい。着物が燃えるといくら死んだふりをしていても動きだす。」

「しかも明るくて作業しやすい。」

 

隠れて虐殺しているのに暗い夜に火を使えば船からも陸からも丸見えで外国の新聞記者にも虐殺していると知らせるようなものでは?

 

「死体の山のあとかたづけで、この日さらに別の隊が応援に動員された。この段階でドラムカンのガソリンが使われ、死体全体が焼かれた。銃殺・刺殺のまま川に流しては、何かとかたちが残る。可能なかぎり「かたち」をかえて流すためであった。しかしこの大量の死体を、火葬のように骨にまでするほどの燃料はないので、焼かれたあとは黒こげの死体の山が残った。これを長江に流すための作業がまた大変で、とても一八日のうちには終えることができない。ヤナギの枝などでカギ棒をつくり、重い死体をひっかけて川へ投げこむ作業が、あくる一九日の昼ごろまでつづいた。」

 

揚子江は当時連絡通路なので揚子江に死体を流せば黒焦げだろうが周りの中国人・外国人に虐殺していると宣伝しているようなものでは?

 

「この「作戦」で、皆殺し現場を逃亡して生還できた捕虜は「一人もいないと断言できます」と田中(栗原)さんは語る。前後の状況からしてとてもそれは無理なことだったと。

捕虜以外の一般人の無差別虐殺は全くしなかったし、また市内にはいらなかったのだからそれは不可能な状況だったという。」

 

「皆殺し現場を逃亡して生還できた捕虜は「一人もいないと断言できます」」

上で書いた事の繰り返しになりますが、「中国側には直接的被害者の証言ほまだない。」と言うのがおかしいですよね。それでいて「中国に生き証人がいくらでもいる以上かくしきれるものではない。」と自分で自分の言っている事の否定をしていいます。

 

 

「結論から言うと、父の証言に関しては、毎日新聞の記者の方へのインタビューと本多勝一氏へのインタビューだけが任意でなされたものです。」

 

毎日新聞本多勝一反日思想で記事を書いています。

 


「2.中国兵が投降した理由

銃弾の補充がきかず、銃弾がなくなったことが投降の理由だそうです。」

 

弾が無くなれば日本軍から隠れながら中国軍に戻ればいいだけで、わざわざ投降する理由にはならない。

 

 

「幕府山の現場は、幕府山のふもとの川沿いの100m四方の凹地です。
 まわりに鉄条網はありません(父によると、そんなことしてあったら捕虜に感づかれてしまうとのことでした)。
 昼ころ、事前に探しておいた場所だそうです。」

「鉄条網はありません」

おかしいですね栗原利一が書いたと言っているスケッチブックを元に上の動画の中で「河原には鉄条網が張られ」と28分45秒の所でナレーションで言っておまけにCGでも再現しています。

 

「昼ころ、事前に探しておいた場所だそうです。」

言葉がおかしいですね、上のままだと当日の昼に探した事になります。

「前日の昼ごろ、事前に探しておいた場所だそうです。」

が正解文ですが、「昼ころ」も普通は「昼ごろ」とにごります

 

「4.婦女子の殺害

 これは最近聞いてわかったことですが、本多氏に対する証言では女性や子供は殺害していないようなことでしたが、実際には捕虜の中には家族持ちの捕虜が200人くらいて、その人達の奥さんや子供なども捕虜には含まれていたそうです。そのようなことから、虐殺後の死体の中にも女性や子供の死体があったそうです。
父親が捕虜になれば、それを心配して母親も捕虜になっただろうし、子供も捕虜として一緒についてきたのだろうということです)」

 

おかしいですね、安全区に逃げ込んだ敗残兵の確認方法は見つけた人の名前を他の人が言えるかどうかです。

ようするに捕まえた人に最初に名前を聞いて知り合いだと言う人が名前を正確に言えれば、一般市民と判断したそうです。

ですから家族がいるなら一般市民になります。

 

「9.このHPへの掲載の経緯

 昨年(平成14年)他の掲示板で南京大虐殺が否定的に話されていることを知り、父の証言を調べたところ重要な証言であることがわかり、このHPに掲載させていただいた次第です。

以上」

 

 栗原利一本人が間違えて書いているのをそのまま書いているのか?ページを作った人が間違えているのか?

「山田支隊・栗原利一証言」の中の文章は多分中国人が編集しているのでしょう。

「プ」と「ブ」の間違いはどう考えてもあり得ませんから。

「プ」を使った人が栗原利一本人なら栗原利一が中国人でしょう。

ページを作った人が「プ」を使ったならページを作った人が中国人でしょうね。

 

栗原利一の証言は矛盾が多いですね。

人柱が出来る事はまず無いでしょう人の山ならあり得るかもしれませんが、山なら崩れる事は無いでしょうし、その前に泳げない人でも後ろ手に縛られていても川側に逃げ出す方が人間の行動です。

人の上に折り重なっている上を駆け上がるのは人を踏んだ経験が有れば解ると思いますがものすごく安定しません。

踏めばフニャフニャしてとても高いところに登る足場にはなりません。

それを知らない人が書いたのではと思いますね。

 

私には栗原利一が吉田清治とダブって見えるのです。