猫が死ぬとき
昔、実家で猫を飼っていました。
私がまだ2歳ぐらいの時だと思います。
父親が冬に郵便受けの近くに子猫が捨てて有って拾ってきました。
三毛猫で鼻の頭にチョコンと黒い模様が有ったので「チョン子」と名付けました。
私はその猫が好きでよく遊んでいました。
チョン子は家族に良く懐いて、テーラー(昔の農業機械)の音がすると走って甘えるために飛びついてきた事も有ります。
家は農家なので納屋と住宅がつながっていて(昔の農家の住宅では多い)猫でも家の方から納屋に出ていく事が出来てネズミも沢山とりましたね。
またものすごく利口で3回程ダメと教えると直ぐに覚えました。
テーブルの上には教えてからは一度も登った事は有りません。
また、私たち家族が食事をしていても絶対に食べさせろとは来ませんでした。
私たち家族が食べ終わると俺の食事を出せとさいそくに来るほど利口でした。
また夜寝ていると布団の中にネズミを捕ったと自慢しに何度ももぐりこんだ事もあります。
これをやられたのは家族の中でも私だけでした。
チョン子にしたら獲物を取るのはやっぱり自慢なんでしょう。
寒い夜は良く布団に入れろと来ました。
私が14歳の頃、チョン子が私の目の前で納屋の中で他の猫と喧嘩をして飛び跳ねた瞬間に背中を強打して結構やばそうなぐらい痛いそぶりが見えました。
その日の夜の7時頃チョン子が二階の階段途中からゴロゴロと落ちる音がしたのです。
その瞬間、猫なのに階段で足を滑らせるとは背中を強打した後遺症が有るのだと思いました。
ビックリして階段の方を見るとチョン子が足を痛そうにして此方に歩いてきました。
私は「お前どうしたのよ?痛いのか?」と声を掛けて抱きましたが、直ぐに抱かれるのを嫌がり私の手の中から逃げ出しました。
私は逃がすまいと追いかけましたが、何かに引き寄せられるように納屋の方に行ったのです。
納屋に行けば外には簡単に出られます。
その納屋に行く姿がチョン子の最後の姿でした。
次の日もその次の日も帰っては来なくて、母親とも「チョン子どうしたんだろう怪我をしているからね。」と心配していました。
何日か帰らない事は時々有ったので少し心配でしたが、流石に1週間も帰らないとかなり心配になりました。
それから8か月程過ぎチョン子の事も忘れかけていた頃です、外に有った木材を移動したらその下からチョン子の亡骸が出てきました。
見た時は悲しくなりましたが母親から猫は死に場所を探して居なくなるから死んでいるかもと聞かされていましたので有る程度覚悟はしていたので泣く程のショックは有りませんでした。
亡骸だけでも見つけれたのは良かったとその時は思いました。
お墓を作り埋めて花を飾って最後のお別れをしました。
もしあの時、自分の目の前でチョン子が死んでしたら多分ものすごく悲しくて泣いていたのは間違いないと思います。
今、考えてみるとチョン子は自分の死を悟って、私たち家族の悲しみを和らげるために近くの木材の下で最後を迎えたのかもしれません。
遠くで死ぬ事もチョン子に寂しくて出来なかったのでしょう。
この時人生の中で初めて自分の身近の死と言う物を体験したのです。
猫も別れる事は悲しいと理解していると思います。