未来から来た宇宙人のブログ

「南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記」を検証してみた。(南京事件 兵士たちの遺言)時々更新します。 拡散希望していますのでリンク・コピペの許可は要りません。

好きと恋と愛は似ているが全く別なもの、何故かを説明します。

好き・恋・愛は若い時はなかなか区別がつかない人もいる、ネットでも色々と説明しているが恋と愛をごちゃ混ぜにしている解説もある。

好き・恋・愛がハッキリ違うことを説明したい。

英語だと

好き Like または Love
恋  Love
愛  Love

日本語の素晴らしいのはこの3つをハッキリ区切っている事です。

まずは 好き から説明すると漢字の中に心の文字が使われていません。

恋も愛も漢字の中に心の文字が使われているのが素晴らしいと思いました。

好きは何にでも使える事です。

人・物・趣味・行動・食べ物・国・花・動物・数字etc.・と何にでも「好き」と使えるのがこの言葉の面白いところです。

そして好きの反対語が「嫌い」とハッキリ解ります。

この好き・嫌いに使われている漢字の中に女の文字が使われているのも面白いですね。

 

次に 恋 を説明したい。

恋の漢字の下側に心が使われているので下心が有るとか言われますね。

恋を使う言葉のほとんどが人に向けて使われることです。

私が思いつく限りで人以外で使われるのは「故郷が恋しい」だけでそれ以外では思いつきません。

また恋の付く漢字や言葉の意味を調べると恋愛対象(普通は異性)しか使われません。

恋を使うなら基本生きている異性に使うとも言えます。

恋は盲目と言われて、相手の何を見ても良く見える、相手の短所でも恋していれば長所に見えてきます。

では恋の反対語を考えると何が当てはまるのか?

まず反対語なので人に向ける感情は同じです。

嫌いは当てはまりません何故なら嫌いは何にでも使えるからです。

恋なら常に好きな人の事を考えて常に思い続けて会いたい抱きしめたいと考えるでしょう。

これの反対の人を考えると、絶対に会いたくない、この世から消えてほしいと、常に考えるようなかんじですね。

一番近い表現が憎悪かもしれません。(あくまでも個人的意見)

恋は必ず相手がいて、両想いだったり片思いだったりします。

 

では次は 愛 について説明したい。

実は愛は相手を憎んでいても嫌いでも愛せます。

これが 好き・恋 とは大きく違います。

これを読んだら何馬鹿な事書いているのだ!「相手を憎んだり嫌いなら愛せない!!」と思うでしょう、まあ後で何故かは詳しく説明します。

愛の漢字は真ん中に心が使われています。

心を真ん中に込めているからです。

では愛を使う漢字で調べると色々と解ります。

愛が動物に使われている漢字は、愛犬・愛馬・動物愛護・愛玩動物・等

物で愛が付くのは、愛車・愛用の道具・愛機・愛読書・愛煙家、等です。

他には、愛国心・郷土愛 等です。

人に向けて使われる愛に文字は多すぎますが一応、愛人・愛妻・溺愛・熱愛・母性愛・家族愛・兄弟愛・親子愛・親愛等まだまだあります。

では最初の方で嫌いでも憎くても愛せる例を本当に有った事を書きます。

私の知り合いで母親が死んだ時の話です。

その知り合いは母親が大嫌いと言うより憎んでいました。

理由を聞くと、その母親はいつも男をとっかえひっかえして父親が解らない6人の子供を産んで、本人はその5番目の子供でした。

近所でも男にだらしない母親なのは有名でした。

そんな母親が嫌いなのはなんとなく解る気もします。

水商売で子供を6人育てて、上の4人はみんな独立して、兄妹二人が母親と暮らしていたそうです。

そんな矢先に、母親が癌になり余命1年と言われ、独立した4人にも老い先短い事を伝えましたが、誰も見舞いには来なかったそうです。

そして葬式になりましたが葬式にも兄弟は誰も来なかったそうです。

と言うより、兄妹には来るなと言ったそうです。

何故なら生きているうちに、何故見舞いに来なかったのか兄妹を責めたそうです。

そんな母親が不憫で通夜の時は一晩中泣いたといいます。

勿論母親が嫌いで憎んでもいましたが、何故か死んだ時は涙が止まらなかったそうです。

自分でも何故涙が出るのか解らないと言っていました。

実はこれが無償の愛だと言えます。

自分が母親と暮らして自分と兄妹と母親が食べていくのがやっとなのに気が付いたとき、女一人で6人の兄弟を育てて食べさせる事がどれだけ大変なのかを気づかされて自分が母親の立場なら逃げ出していたかもしれないと思ったそうです。

愛は一方通行です。

相手には愛が届かない事もあります。

でもそれが愛なのです。

愛車も何年も車を大切にしていて、ある日車が事故で廃車になるとしますが、相手が新車で弁償すると言われても、思い入れが違うのでたとえ新車で返されてもやはり何か物足りなさを感じます。

例えば母親だけに育てられて母親しか知らない子供が、ある日突然父親が死んだと連絡が来たら何も感じないでしょうか?多分知らない父親でも悲しくなるでしょう。

これが愛だと思います。

その人が愛されているかは死んだ時に流される涙の量で解ると言います。

では愛の反対語はなんなのか?

愛の反対語は無関心と言った人がいますが近いですが違うと思います。

ある人に関心を持っていてもその人が死んでも涙を流さなければ愛してはいなかったと言えます。

一番よい例が、芸能人です。

ある芸能人のファンでもその人が死んで涙を流す人もいれば流さない人もいます。

無関心だろうが関心があろうが関係ないと言えます。

芸能人からすれば一度も会ったことも無い人から愛される事もあります。

なので愛は両想いは間違いですね。

愛の反対語は私はまだ見つけれません。

 

親子の愛で子供が思春期なると反抗期になるのはごくごく自然な事です。

これはDNAに刻まれた行動とも言えます。

父親は娘の行動が気に入らなくなり、娘は父親が嫌いに成ります。

母親は息子が母性本能からなかなか嫌いにはなりませんが、息子は母親に逆らいたくなります。

これもDNAからくる行動で、愛していないからではないのです。

DNAは自分よりなるべくDNAの配列が遠い遺伝子を残そうとするので、そこから親子では同じDNA嫌うことを選択します。

これが親子で嫌う行動をします。

ですが、親子で愛していないかと言えば愛しているのは間違いないと言えます。

ただ愛されている事も愛している事も本人は気が付かないのがほとんどだと言えます。

 

好きと恋と愛の違いが理解していただけただろうか?

一度考えてみてください。

 

 追記

生まれたばかりの子供は愛されている事が解りません。

でも親は生まれたばかりの子供を愛しています。

私の妻が一人の子供が流産しましたが生まれてこれなかった水子に涙を流しました。

自分でも気が付かないで流れた子供を愛していたのでしょう。

生みの親より育ての親。

やはり愛は一緒に暮らした方が強くなるのは間違いないと言えます。

 

言葉で愛していると相手に言ってもなかなか届かないのも愛だと言えると思います。