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「南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記」を検証してみた。(南京事件 兵士たちの遺言)時々更新します。 拡散希望していますのでリンク・コピペの許可は要りません。

NNNドキュメント 「南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記」を検証してみた。(南京事件 兵士たちの遺言)時々更新します

NNNドキュメント 「南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記」

私が南京虐殺と言われる事件を初めて知ったのは、20年ほど前にNNNで下の動画をTVで見た時です。

私の記憶に間違いが無ければ当時のテレビでの番組名は「NNNドキュメント南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」のはずです。

ただ中身はほとんど同じで元日本兵の顔を当時はぼかしてはいませんでした。
当時のTVは45分ぐらいの長い動画で中身は南京攻略に参加した元日本兵の日記や証言でした。

 

南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記

video.fc2.com

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重要な事なので、ここに緊急に追記します。

実は調べると上の動画の中で表紙に「支那事変日記帳」と書かれていますがこれがおかしいのです。

当時使われている漢字では「支那事變日記帳」と書かれないとおかしいのです。

使われている漢字が 「変」は新字体で旧字体なら「變」が正解です。

そこで日記に使われている漢字を色々と調べると新字体や旧字体がまざっています。

捕虜の「虜」の字も旧字体なら「虜」で男の部分の田の部分が毌でなければなりません。

当時の日本の漢字と今の日本の漢字では当然旧字体の方が正しい漢字なので今とは使い方が違います。

1923年(大正12年):文部省臨時国語調査会が指定した漢字1962字とその略字154字。
 一部資料に1960字とあるのは略字によって2組が同字となるため。


1931年(昭和6年):「常用漢字表及仮名遣改定案に関する修正」にて上記常用漢字表中の147字を減らし45字を増やして修正した1858字。


1942年(昭和17年):国語審議会が作成した標準漢字表2528字のうちの常用漢字1134字。他に準常用漢字1320字、特別漢字74字。簡易字体(略字)の本体78字、許容64字があった。


1945年(昭和20年):国語審議会が上記常用漢字から88字を削り249字を加えた
 常用漢字表1295字案。この案は採択されず、これを修正した1850字が当用漢字
 として公布された。
1981年(昭和56年):公布された常用漢字表1945字。

漢字は今まで何度も変更されています。

そこで当時「支那事変」で使われていた漢字を調べると「支那變」の漢字が使われています。

支那事変」画像検索結果

https://www.google.co.jp/search?q=%E6%94%AF%E9%82%A3%E4%BA%8B%E5%A4%89&lr=lang_ja&hl=ja&biw=1253&bih=678&tbs=lr:lang_1ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjbv5aFrtTPAhXGKpQKHVG2DbMQ_AUIBygC

f:id:zigenn-daisuke357:20161012142412j:plain

読み方が右から左で今と逆ですがやはり「支那變」の漢字が使われています。

当時の新聞でも支那變」と書かれています。

他にも使い方がおかしな漢字がないか現在検証中です。

 

新字体と旧字体の使われ方を途中までですが検証して下にアップしました。

richard-black.hatenablog.com

 

ここまでが緊急の更新追加内容です。

 

そして今から8年ぐらい前に下の動画をネットで見つけました。

南京市民の虐殺などしていないと証言する元日本兵の方々(7:41)

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上の動画を見た時はビックリしました、前に見たNNNのTVとは全く逆の話です。

なら、どちらかの元日本兵が嘘を言っているか、隊が違うから証言が違うのかと思い調べる事にしました。
虐殺が有った、無かったの情報は相当多く何が本当で何が嘘かを見分けるのは殆ど無理だと言えるでしょう。
資料とするものは少なくても当時のフイルム、写真、書類戦争前と後の日本軍の行動等


そこで私は当時の南京に居た人たちの立場に成って考えてみる事にしました。
当時南京に居た人は、中国人・中国兵・外国人・外国の記者・日本の記者・日本兵・22人の外国人で組織された国際委員会の人

南京大虐殺の真実】の動画には証言と日記が出てきます。
これは信憑性が高いと思い、何度も見直しました。(証言等は20回を超える)
すると、どうしてもおかしなところが有ります。

スケッチが出てきますが何故か機関銃が向かい合って撃った事に成っています。
証言では「両側から撃った」と言ってますが普通この様な撃ち方は味方を撃つので有りえない。

多い人数を殺害するなら普通は十字砲火が基本です、こんな風に向かい合えば味方に弾が当たります。
殺した人数も13500人と有りますが、中国人の立場に成って考えれば有りえません。
何故なら、近くで機関銃の音が聞こえれば誰でもそこから逃げ出すはずです。
最初の銃声がしてから今、来た道を一万人もの中国人がが走り出せば全員を殺しきれる訳がないです。
有刺鉄線で逃げ場は無いと解説していますが逃げ出せば人々が折り重なりますその上を走れば有刺鉄線などは無いと同じです。

一つ注意しないとならないのが動画の中の元日本兵証言が南京での出来事なのかと言う事です。

動画の流れからどうしても南京で有ったと事だと刷り込まれますが、他の戦いでも同じような出来事があったとも考えられます。

出てくる元日本兵はほとんどが仮名です。

これでは検証出来ません。

 

話を元に戻します。

おまけに前は川です川に飛び込めば逃げ切れる可能性は高いです。

何故なら夜ですから当時に明かりを取るのは松明程度です良くて懐中電灯でも全体を明るくする事は出来ません。

川の中に逃げれば弾が水の中で進む距離も2メートル程度でまず当たる確率は極端に低くなります。

人柱が出来たなんてことはまずありえない、逃げるなら人の死体の下になります。

次にガソリンを掛けて燃やしたと言っていますが、ガソリンをどの位使ったのか計算してみます。
一人に対して0.5リットル(コップ2.5杯)と考えると一万人に掛けたなら5000リットルです。
これはドラム缶(200リットル)で25本分どう考えても有りえない数字です、せいぜいドラム缶1~2本程度でしょう
なら意味のない死体の焼却です。
また南京では火事は厳罰に処されたそうですが、煙が上がれば火事だと思われるような事をするとは思えません。

まして川のそばで夜にガソリンを掛けて燃やせば明るくなり通る船からは丸見えになって、何を燃やしているかは双眼鏡で確認できるでしょう。

燃やすのが昼間だとしても黒い煙が見えるので通る船は何が起きているのか確認の為にやはり双眼鏡で丸見えになると思います。

当時は戦争状態です船から沿岸に煙や炎が見えれば必ず双眼鏡で戦闘が起きているか安全を確かめるのが船長の仕事です。

動画の中の再現CGにも、スケッチブックにも船が描かれていますが当時の揚子江は連絡通路で各国の船が行き来していた川です。

また匂いの事を言っていますが死体からは糞尿・血・ガソリン・人間の焦げた匂い・肉片・脳・指・目玉や悪臭が酷い筈ですが次に殺害されるためこの場に連れてこられた中国人が殺害される前に血の海が有り凄い悪臭が有れば普通は殺されると気が付いて逃げ出すでしょう。

匂いに関しては凄いと思います。
住んでいた町に豚の、とさつ場が有りましたが、風邪の向きで酷い匂いがしました。


その後死体を揚子江に流したと言っていますがこれも考えられません。
何故なら一万人もの死体を川に流せば死体は浮かんで何十キロも先まで流れます。
沈んだ死体も腐敗が始まれば浮かんで流れていきます。
そして揚子江は川幅が1キロも有り海との連絡通路に使われているので、川に死体を流せば外国人記者にも国際委員会にも近くに住む人々にも絶対に解ってしまいます。
またこんな事をしたら死体が腐敗して伝染病が流行ると思いますし、川の水は使えなくなります。
他にも【パナイ号事件】を見てみれば川に流すことは100%有りえないでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%A4%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

www.youtube.com

この動画の3分ごろに当時の揚子江に何隻もの船が出ている様子が映しだされています。
南京から逃げだす中国人だと思います。
これで言える事は、当時揚子江は連絡通路に使われていて何隻もの船が行き来していたという事です。

日本の船だけではなく外国の船も連絡通路といて使っていることがパナマ号事件で解ります。
そんな川に何万もの死体を流せばどんな馬鹿でも日本軍が虐殺してると気づくだろうし、日本軍にしたら虐殺してると宣伝してるようなものです。

また2014年6月に中国の黄浦江に病死した豚1万頭を流したとの報道が有りました。

豚でさえ大騒ぎになるのに死体が何万人と流れれば当然当時から大騒ぎになります。

それを当時の外国の報道機関が川に大量の中国人の死体が流れていると報道するはずです。

また大量の当時の写真が有る筈ですが、ネットで見つけるのは「黄河決壊事件」と思われる写真です。

連絡通路に使われている川なら船の上から撮った写真が有る筈ですが一枚も見つけれません。

それでは掘って埋めたのかと言う疑問が残ります。
現在南京市は 市区人口2011年 716万人です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%B8%82

日本軍が攻める前は1936年6月 97万3158人となっているらしい。

当時より約7倍も人口が増えています。
南京は中国でも大きな都市です当然、道路工事、新しいビル工事、住宅、上下水道工事、電気工事、高速道路となればそこら辺じゅう掘り返している筈です。
なのに大量の人骨が見つかったとは報道された事は有りません。
南京で人骨が大量に見つかれば日本を叩くにはかっこうの材料です、それを隠すはずが有りません。

なら燃やしたのかと言えば先ほども書いたように燃やしきるのも無理な話です。

世界紅卍字会

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%B4%85%E5%8D%8D%E5%AD%97%E4%BC%9A

どうやら上の組織が戦死者の遺体処理をしたようです。
このほかにも崇善堂と言う慈善団体が死体の埋葬をしているようですがこの団体が南京で活動している様子が有りません。

またネットでは崇善堂の方が世界紅卍字会より多くの死体を埋葬したと出ていますが、世界紅卍字会より多くの死体を埋葬しているなら崇善堂の方が写真でも多く残る筈ですがそれも見当たりません。
「崇善堂」の埋葬活動は無かった。

http://www.history.gr.jp/nanking/reason07.html


崇善堂が埋葬したと言っている11万人も全くの作り話成ります。
崇善堂が埋めた死体を掘り返したとの情報も有りますが崇善堂自体が?なので眉唾とも思えます。

日本兵の遺体をどの様に処理したかは解りませんが(多分近くに埋めて供養したと思える)中国兵の遺体は世界紅卍字会が処理しています。

日本軍が「中国無名戦士之墓」と記名して墓標をたてています。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/china01.jpg

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/f4/4b8aba27641b98d5e6d1cf8c834b1b99.png

わざわざ虐殺した相手の兵士の墓標を立てるでしょうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%B4%85%E5%8D%8D%E5%AD%97%E4%BC%9A#.E4.B8.96.E7.95.8C.E7.B4.85.E5.8D.8D.E5.AD.97.E6.9C.83.E6.95.91.E6.B8.88.E9.9A.8A.E8.A6.8F.E5.AE.9A


そして上のリンクの中に【世界紅卍字會救済隊規定】が有り
その中に【 第十五條 各員は傷亡兵民を發見するときは一面救済すると共に本人の所属部隊氏名服装符號等を、一々調査し人民にありては受傷者の氏名年齢本籍住所等を調査し以上の事實調査不能の場合は死人の人相着衣等を詳細に記し且携帯品等を一々明記し司令部及本會に報告すべし。】とあり戦死者の身元を調べてから埋葬していると思える。
また、中国兵の戦死者数も世界紅卍字会の発表と考えられる。(日本兵の戦死者は日本軍が管理)

では【虐殺】された死体の処理を世界紅卍字会が処理したのかと言えばそれは有りえない。
なぜなら虐殺されたのなら、一目見ただけでもどのように殺害されたかは馬鹿でも解る。
世界紅卍字会が虐殺された死体を処理すれば当然、外国人記者にも伝える事になる。

現在でで言えば赤十字が死体の山を処理をしていて虐殺が有ったと報道関係者に知らせて世界中に訴えるのが自然の行動だと言えます。

また虐殺したのなら秘密裏に日本兵が死体の処理をすることになるのが普通の考え方。

世界紅卍字会の人たちが当時何人ぐらい居たかも知りたくなる、これは死体の埋葬能力を知るためです。

穴を掘って運んで埋めるのは一人で1日2~3人が限界でしょうね。


おまけ

南京の人口の【1936年6月 97万3158人】を検索に掛けると面白いですよ。
南京には20万人ではない97万人いたと言うわけです。
全く馬鹿な理屈です。
日本軍が攻めてきたから20万人に減ったので、逃げない方が馬鹿じゃねえと言いたい。

http://ks.c.yimg.jp/res/chie-0/151/348/i17/3-20_125119.jpg

さて、上の証言をしたこれらの日本兵は虐殺した理由は捕虜に食糧を与える事が出来ないからでした。
前線に食糧を送れない軍隊が燃料のガソリンが送れたとは思えません。
食糧も弾薬も物資もセットで送る筈です。

この食料が疑問に成ります。
日本兵は補給が無く南京に進軍中にも途中で徴発しながら南京に向かったと言っていますがこれも疑問に思います。
動画の中の日記には確かに徴発の事は書いてありますが、南京攻略の時とは限りません。
第二次世界大戦の終わりの頃とも考えられる。(こちらの方が自然です。)

挑発 (人の所有する物を強制的に取り立てること。特に、軍需物資などを人民から集めること)

まず支那事変が始まってから半年しか経過していないのにこの時点で物資が送れないならその後8年間も戦争がつづけれる訳が有りません。
また日本軍は【日清戦争】【日露戦争】【第一次世界大戦】【満州事変】と戦っているので戦争の経験が有るのに物資を送れないとは考えられません。

動画の中であたりで子供にポケットからお菓子を出して与えたとなっていますが、徴発しているのに与えるのには疑問が有ります。

ほかの意見では現場の陸軍が暴走して進軍したから物資が追い付かなかったとかの意見も聞くが
12月1日には、南京攻略を命令が出て。南京安全区国際委員会、事務所開設しています。

これだけ準備して陸軍の勝手な暴走とは考えられない。

【南京城攻略要領】が12月7日に出されています

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%9F%8E%E6%94%BB%E7%95%A5%E8%A6%81%E9%A0%98

上のリンクの中に注目するべき内容が有ります。
一つは7-1の内容ですが簡単に言えば【世界から注目されているから模範となる様に心して、不法行為は駄目です】みたいな感じですがここで世界から注目されていると解っているのに虐殺とするとは到底考えられない。

7-5も【掠奪行為や不注意と言えども 火を失するものは厳罰に処す】と言っているのに強姦や虐殺をしたとはとうてい考えられない、不注意の出火でも厳罰です。


南京攻略戦

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%88%A6


当時の写真

https://commons.wikimedia.org/wiki/Battle_of_Nanking#Waiting_for_all-out_attack.28Dec._9.2C_1937.29

動画の中で南京攻略戦が終わっている12月13日以降にも南京城外の幕府山付近で敵兵が投降してきたと言っていますが普通南京城が陥落したなら撤退して蒋介石と合流するのが兵士だと思います。
まして、10人とかの少人数なら解るが1万人以上の兵士がそれほど簡単に投降するとは考えにくい。

戦線後方記録映画「南京」 1938年東宝文化映画部作品.avi

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この内容を見ると、どう見ても虐殺した人とれた人には見えない。
食糧も沢山有る様に見えるし、外で遊んでしたりしてる。
中国人が日本の旗を持ったり腕章も日本の国旗です。
とても脅されてもっているようには見えません。

さて、ここで記者の立場から考えてみたい。

当時の日本・蒋介石率いる国民党・アメリカの関係が報道に大きく影響することは間違いない。
日本の報道は日本が正義で国民党が悪
国民党は逆の報道をするでしょう。

ではアメリカの報道は偏らないのか?
こんな資料が有ります。
パーソン・オブ・ザ・イヤーの1937年を見ると蒋介石と妻の宋美齢が選ばれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC

また1935年3月27日に日本は国際連盟を脱退しています。
これはアメリカ人や他の外国人から見れば悪い印象を与えてるでしょう。
何故脱退する事になったのか、色々と理由は有りますが、一番簡単な答えは白人至上主義が根強かったと言えます。

当時の日本はそれまでの有色人種では初めての、国際連盟常任理事国だったり、台湾や朝鮮半島を統治したりしていれば、白人にとっては相当面白くないですよね。
【出る杭は打たれる】日本はアメリカから見れば叩きたくなると思います。
当時のアメリカ人記者の思いは多分こんな感じだと思います。
【日本人が酷い事をしたらバンバン本国の本社に写真を送るぞ!!】と思っていてもおかしくは無い筈です。
ところが南京虐殺と言われている証拠写真があまりにも少なすぎます。
特に死体の山の写真がが少ないのです。
もし虐殺を見つけたら当然何枚もの写真を撮る筈ですがそれが有りません。
死体の写真を撮ろうとするならなるべく多くの死体が写る様に取るのが普通の記者だと思います。
一度に1万人を殺したといっているのに10分の1でも1千人ですがそんな写真は一度も見た事が有りません。
南京虐殺だと言われている写真を見せられてもせいぜい50人程度しか写っていません。
戦死者のバラバラに散らばっている遺体を1か所に集めた写真なら50~100と言われても納得できます。

フイルムも今よりは高いと思いますので無駄な撮り方はしないと思います。


では当時南京に住んでいた外国人の 『ミニー・ヴォートリンの日記』・『ジョン・ラーベの日記』を『ジョン・マギーのマギーフィルム』を考えるとおかしな所が有る
まず日記だが中国人の犯罪があまり書かれていないのに疑問を感じる
20万人も住んでいれば窃盗・強盗・喧嘩・空き巣・放火・殺人は必ず有ると言える。
この人たちは、南京安全区国際委員会なので中国人が起こした事件を知らない事は有りえない。
まして中国人の便衣兵が紛れ込んでいるのでこの便衣兵が何をやらかすか解ったものではない。
例えば、服・食べ物の窃盗・又は強盗・空き巣・住民に見つかって殺人・強姦・放火して日本兵を引き付けて逃げるとかも考えられる。
差別ではないが、今でも中国人は日本人の倍の事件を起こします。
追いつめられている便衣兵が事件を起こさない方が不思議だし、兵士ではない人も一般人でも事件は起こします。

南京で起きた事件が全て日本兵の仕業の様に書かれているのは疑問に思う。
南京安全区国際委員会の人々は元々中国に長年住んでいたので、どうしても中国びいきの答えなるのが普通です。
では日本兵が犯罪を犯さないかと言えば10万人も居れば中には犯罪をする人は当然居ます。
現在と同じような犯罪率なら南京での犯罪数は日本兵の数を10万人南京の住民の数を20万なら中国人が事件を起こすのは日本兵の4倍の数字に成ります。

『ジョン・マギーのマギーフィルム』も変です、怪我人ばかりのフイルムで虐殺の証拠とされるシーンは有りません。
虐殺で女・子供の何千もの死体の山の方がインパクトが強いと思いますが何故か有りません。

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1分52秒頃に首に大怪我をした子供が映っていますが、いくらなまくらな日本刀でも子供の首をはねれないで骨で止まる事など考えられません。

普通に考えれば別な事で怪我をしたと考えるのが自然です。

この動画の中では北朝鮮のスパイと言って処刑していますが、便衣兵はスパイ扱いになります。

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次に上海から南京に向かう途中で何万人もの虐殺が有ったのかと考えてみます。
これを推測するには従軍記者の立場で考えるが日本人の記者は除外して外国人の記者の立場で考える。
もし上海から南京の途中で虐殺が有れば外国人記者にも情報が入り、写真の証拠が有る筈だが一枚もそれらしいのが見つからない。

また何万人もの死体を埋めて隠す暇など有りません。
もし虐殺が有れば何百枚もの写真が有りその中の何十枚かは現在でも残る筈だが見当たらない。
日本人記者が撮った写真なら日本軍に検閲されて奪われる可能性もあるが外国人記者のを日本軍が奪う事はまず無理だろう。
フイルムは現像しなければ何が写っているのかが解らないので、写している最中でもない限り奪われることは無いと言える。
おまけに何万もの死体を外国人の記者に見られないで隠す事など不可能と言える。


次に、南京の虐殺が有ったとして斬首の写真が使われるが、銃殺刑で殺害するのも斬首で殺害するのも同じであって斬首だから虐殺だと言うのはあまりにも無茶な理屈としか言えない。
それとも1000人も斬首でもしたと言いたいのだろうか?
また女性・子供を斬首している写真では有りません。

例えばこれは中国人が中国人を何人も斬首している写真集ですがこの中国人は虐殺に成るのでしょうか?(グロ注意)

http://ingakankei.blog130.fc2.com/blog-category-6.html

今では残虐だと思える事でも当時では普通の事など沢山有ります。

この事は100人斬りが有ったから南京虐殺も有ったような意見と同じである。
100人斬り自体が実際には無理な話で、これは今でも証明できる。

100人の中学生にペイント弾のモデルガンを持たせて剣道8段ぐらいの人と市街地で白兵戦を戦わせれば直ぐに解る。
道家は柔らかいチャンバラ用の武器とモデルガンで相手に当たれば相手の戦闘不能扱い。
道家も体にペイント弾が当てれば戦闘不能で戦えば、多分10人も倒せないうちに剣道家にペイント弾が当たるのは誰でも想像できる。

だいたい武器の間合いが全然違うのに、いくら剣道家が達人でも無理なものは無理。
これは『長い槍と短い槍とでは、どちらが戦に有利』で検索すると答えはハッキリ解ります。

南昌市長より感謝状(南京市長では有りません南昌市長です)

この説明は長くなるので動画で確認してください。(散々ここまで長くかいているのにかよ!!と言われそう)

www.youtube.com

感謝状と言えばもう一つ

http://archive.is/5TdU6

『ラーベ委員長』
「拝啓 私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」

南京虐殺肯定派の人は上のこの文章を読んで『感謝状』ではなくて『要請状』だと言い出しています。
『感謝の意を表するものであります』と書いてあるのにです。
もうこうなれば何もかもを否定するだけとしか言えません。

 

虐殺と言えば一番有名なのが【ドイツ軍によるユダヤ人虐殺】が有名です。
何万人殺したかは諸説紛紛が有り人数に関しては今は名言しませんが虐殺が有った事は間違いないでしょう。

ユダヤ人の事件と南京の事件を比べると証拠とされているものに大きな違いが有る事に気が付きます。

まずは写真の違いですがユダヤ人の死体は何百人と写っていますが中国人の死体は多くても20~30人です。

次に、殺害方法ですがユダヤ人は何か所もの強制収容所に連行されたから隠すように殺害されています。
中国人の殺害方法は川沿いに連れていかれたとかですが、ハッキリした場所が不透明です。

強制収容所で殺害されてドイツ軍だけで隠そうといても、相当量の写真や証言が残っています。

ところが外国人の記者も居たのに大量(200人~300人)の死体が写っている写真が無いのは不自然としか言えません。

ユダヤ人の殺害の際は身ぐるみを剥いで指輪・眼鏡・靴など当然財布や現金も取っています。
死体からは金歯や銀歯も取っていると聞いた事が有ります。
中国人を殺害する際にはこのような事は有ったとは聞いた事が有りません。

ここで問題なのが現金です。
今の価値にして一人1000円の現金を持っていたとして30万人もの人から奪えば3億円です。
指輪とか金歯・銀歯・眼鏡もも付け加えればかなりの金額に成る筈です。
これだけの現金を無視するでしょうか?
中国の現金なら中国で使えるので日本軍の軍票より信用が高い筈です。
集めるなら殺害後に身体検査をするだけでいいのです。

ところが、財布を集めたとか指輪を取ったとかは聞いた事が有りません、不思議です。

強制収容所で殺害されたり助かったユダヤ人はみんなガリガリに痩せていました。
これは食事をまともに与えられていないからと、誰からの目から見ても明らかです。

ところが中国人の殺害理由に食事を与えられないからと有りますが、ガリガリに痩せている中国人の死体の写真を見た事が有りません。

食事が理由で殺害したとは到底納得できる理由には成りません。
もし食事が理由ならガリガリに痩せている死体の写真が有る筈です。

 

南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記

この動画を検証してみました。

 

video.fc2.com

00:53  歩兵第65連隊 元兵士  A

我々歩兵隊は 援護隊ではないが 両側から撃った後は銃声と阿鼻叫喚ですごかった。

私個人の感想  両側から撃てば味方に当たるのでは?

 

02:22  山砲兵第19連隊 元兵士  B

ガソリンだか石油をかけて火をつけただから焦げていた

私の感想  何を燃やしたのかが解らない 死体を燃やしたとは一言も言っていない。

また死体を燃やすならガソリンでも石油でも相当量が必要になるのであり得ない。


02;38  歩兵第65連隊 元兵士 C

死骸を突いて歩けと俺は命令だからしょうがないと。

着剣してザッカザッカと突いて歩いた

私の感想 燃やしているのに??


14:53 歩兵第65連隊 元兵士  A 

中国軍はね田園地帯にもトーチカや塹壕掘って待ち構えているんですよ。

何故か編集が入る

そして何メートル先からバーンバーンと撃つんですよ
もうとても生きて帰れないと思った

私の感想 生きて帰っていますね。

19:56  歩兵第65連隊 元兵士  A

大体補給路がないんだから
補給路のない戦争なんてありますか
自給自足で敵を攻めろなんて到底考えられないです

私個人の感想  (大東和戦争の終わり頃は補給が出来なかった事は普通に有ったと思われる。南京の戦いとは言っていない)食糧の補給が無いのに弾の補給が有ったの?食糧の補給が無いのに弾の補給は有って捕虜1万人以上殺せるのは矛盾でしょう。大東和戦争では弾を無駄に使うなと徹底されていました。捕虜を撃つのは弾の無駄使いなのは誰でも解る。

24:57  歩兵第65連隊 元兵士  D

捕虜は我々部隊が行くところに、こっちに100人そっちに200人という状態で
道路の沿線に立ちほとんど無抵抗の状態で集めていった

私の感想  塹壕掘って待ち構えて戦った相手に生きて帰れないと思った敵兵が何故そんなに簡単に降伏するの??


28:58  歩兵第65連隊 元兵士 B  (02:22に出てくる山砲兵第19連隊元兵士同一人物だが、何故山砲兵第19連隊から歩兵第65連隊兵士として紹介されてる??)


日本にも食糧がないんだから
しょうがないよ。
向こうの兵隊は
おかゆみたいなもの食っていた

何故か編集が入る

(捕虜は)腹が減って
草までちぎって食っていた

私個人の感想  (南京での戦いとは特定していない太平洋戦争の終わりごろならあり得る話)


36:16  歩兵第65連隊 元兵士  A


最初は試しというか 1000人くらい
やってみろと言われてね

何故か編集が入る

桟橋にならべてね 機関銃でダダダダーっと

1000にんくらいやったんですよ?←よく聞き取れない(せんよくやったんですよに聞こえる??)

私個人の感想  1000人も並べる桟橋??桟橋に1000人も並べようとしたら最低でも100メートルは必要では??てか桟橋なら射撃されたら川に飛び込めば逃げれると思うが??泳げない人でも桟橋の上で機関銃で撃たれれば川に飛び込むと思うが?


38;54  歩兵第65連隊 元兵士  E

とにかく一万人を集めるというのは
相当広い砂場だった

私個人の感想  (砂場と言っているが川とは言っていない長江は川なのに??)

何故か編集が入る

有刺鉄線かなんか後ろの周囲に張ったでなかったかな

私個人の感想  編集が入らないなら砂場に有刺鉄線を張った言えるが何処に有刺鉄線を張ったのか解らない 2か所を編集して一か所出来事にしているのでは?

39;05   歩兵第65連隊 元兵士 F

おれは機関銃の陣地作り
やってたんだけども

何故か編集が入る

機関銃乗せて高くしてね
砂積んで 盛って

何故か編集が入る

終わったか終わらないかの時に捕虜がどんどん来たんだから

私の感想  これだけ編集を入れると話を作っているとしか思えないし、捕虜を銃殺したとは一言も言っていない。

42:30  歩兵第65連隊 元兵士 A

何千人の死体が折り重なって
重油かぶって死んでるでしょう
それを引きずって
揚子江に流すんですよ
あの匂いは
今でも忘れられません

この中で場所の特定をしているのは、『揚子江に流すんですよ』のこの部分だけです。


おまけに、最初に『ガソリンだか石油をかけて』と言っているのに何故か『重油』になっています。
重油はボイラーに使うか船の燃料だと思います。

1937年12月12日にパナイ号(燃料重油船)が日本軍が誤認して爆撃沈没しています。

日本兵の証言は南京以外の場所の戦闘でもあり得るとも言えるでしょうね。
編集のしかた一つで南京の出来事と思わせる事が出来ます。


小野 賢二が陣中日記を並べている映像が映っているが(17:17)陣中日記が30数冊と言っているのに何故か並べられたファイルが57冊にも成っている?
普通書いてある一人分の陣中日記をわざわざ分けて保存するの??

また、『小野賢二が発掘した日記群は重要でない2名を除いて残り全てが仮名であることは踏まえておかなければならない。』と言われていて虐殺否定派には絶対に見せないそうです。


6分48秒に日記が映しだされています、『支那事変日記帳』 『戦斗日記』よくよく見たら違和感が有ります。
日記の淵は古い感じですが文字の部分が新しい感じでまだ綺麗ですね、映像の日記の中は黄ばんでいるのに表に張られている表紙が黄ばんでいないのは疑問に思えます。

22分40秒頃に逃げ出した中国兵を銃剣で刺し殺したと有るが、銃剣ならライフルを持っている事に成る、何故ライフルで撃たないの??

39分30秒に出てくるスケッチブックに捕虜に対して機関銃を取り囲んで書かれているが、これでは味方も撃ってしまう。


最後のテロップに資料として(45分35秒)『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』【 著者 】【 本多 勝一 】【 小野 賢二 】【 藤原 彰 】と成っているこの人たちは南京大虐殺肯定派の人たちです。

 

◆ 栗原利一証言 ◆
南京大虐殺研究札記

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara04.htm

畠中秀夫氏の捏造記事について 執筆 核心さん

究極的な捏造は『護送だけだったのに小銃で撃ったように書いてある』でしょう。これはありえません。
 水平撃ちの時間については本多氏への証言では1時間になっていますが、
私が疑問に思い「1時間では少ないのではないか?」と以前父に聞いた時に、
「2時間か3時間か、人柱が何回か出来て立っている人がいなくなるほど撃ち続けた」と言ってましたから。


http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara06.htm

 

栗原利一スケッチ3

このスケッチはあまりにも矛盾が多いのです。

何故なら、これでは見方を撃ってしまいます。

次に、向こう側に船が見えますが川側がまるあきなので、機関銃で撃たれれば誰でも川側に逃げ出します。


南京大虐殺研究札記』
編集発行 日本軍侵略中国調査訪中団
連絡先 川村一之
1986年12月発行


約1時間、一斉射撃

「約1時間、一斉射撃がつづきました。見渡せる範囲の捕虜は必死に逃げまどう。水平撃ちの弾を避けようと、死体の上にはい上がり、高さ3~4メートルの人柱ができた」
「その夜(12月17日から18日にかけて)は、片端から突き殺して夜明けまで、それに石油をかけて燃し、柳の枝をかぎにして一人ひとりひきずって、川に流した。今、考えたら想像もつかないことです」
「彼らが後ろ手にしばられていたのは事実です。こっちは百何人ですから、後ろ手にしばらないとやられてしまいますよ。連れてくるまでは、彼らとしても納得していたわけですよ。だけど、そこでトラブルが起きた。起こしたのか、起こさせたのか知りませんが、捕虜の中から”あの岸に行かせるなら早く行かせろ”ということで、将校の刀をとって、将校をやってしまった。それで”撃て”となって...。私は機関銃で撃たれるのを監視していました」
「機関銃で撃った人は、あっちこっちの部隊から選ばれていたわけですが、いくら探してもでてこない。かん口令がしかれたんですね」

この中にどう考えてもあり得ない事が書かれています。

『約1時間、一斉射撃がつづきました。』
『機関銃で撃った人は、あっちこっちの部隊から選ばれていたわけですが、いくら探してもでてこない。かん口令がしかれたんですね』

1時間も機関銃を撃ち続けれる筈が有りません。

使われている機関銃は多分【九二式重機関銃】か【十一年式軽機関銃】だと思われます。
どちらにしても装弾数は30発 発射速度は【九二式重機関銃】が450発/分【十一年式軽機関銃】は発射速度が500発/分 これが重要に成ります。

【九二式重機関銃

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E9%87%8D%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83

【十一年式軽機関銃

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%B9%B4%E5%BC%8F%E8%BB%BD%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83


九二式重機関銃は保弾板方式の弾の装填なので撃つ気になれば1分間に450発撃つ事が出来ます。

十一年式軽機関銃は装填架と呼ばれる箱型の固定弾倉があり射撃の途中であっても、圧桿を開けば新しい挿弾子を随時補充できるそうです。
ですから十一年式軽機関銃でも撃つ気になれば1分間に500発も撃つ事も可能です。

九二式重機関銃で1分間に450発1時間で計算すると450×60=27000発 

中国兵から撃たれる心配もないから機関銃を日本兵は隠れる事をしないでただ撃ちまくるだけだ。

だけど絶対に無理だと言える!!

3分の1にしても9000発、いや機関銃がその前に壊れてしまう。

おまけにこの機関銃がスケッチブックには18丁描かれている。

9000発撃つ機関銃が18台としたら、使った弾薬は162000発、になる。

 

九二式重機関銃】の弾の運び方は。

戦銃分隊には1箱540発入りの甲弾薬箱(22kg)を担ぐ弾薬手4人が随伴(計2,160発)し、
弾薬分隊は定数通り馬8頭が運ぶなら750発入りの乙弾薬箱(30kg)32箱を駄載して計24,000発を運ぶ。
合計で1挺あたりの弾薬定数は9,660発

162000発の銃弾を馬8頭が運ぶなら7組必要になる。

ちなみに1人で540発入っている箱(22キログラム)を4人で運んで合計2160発が戦闘中の機関銃の弾の運び方らしい。


1時間も機関銃を撃つ事は物理的にも無理だし(壊れる)たとえ撃てたとしても、銃弾の数がおかしなことに成る。


>>核心さんが父に聞いた時に、「2時間か3時間か、」??

1時間でも無理と言えるのに2時間か3時間は不可能では。

13500人の捕虜の殺害に162000発?も果たして撃つだろうか??

虐殺が有ったとしてもせいぜい10分から長くても30分程度で終わったと言える。

それからもうひとつ、『もうすぐ日が暮れるという頃になって』と有るが明りはどうやって確保したのかが疑問に思う。
もうすぐ日が暮れるのに暗い中で味方に当たらないよう撃てたのか??
1時間(2~3時間??)も経過したなら月明かり程度で敵味方を見分けながら撃てるのか??

まして川には逃げないで人の上に登ればよけいに目立って射的の的になるのは当たりまです。

普通に考えれば泳げなくても一斉に川に飛び込むのが普通です。

人柱が出来る筈が有りません。

一斉射撃が始まれば外回りの人から倒れ出します。

死体は外回りから出来るので人の上に登ると言う事は撃たれている方向に走り出さなければ上に登れません。

逃げ出して死体の上に登ると言う事は先に中から死体が出来なければ起きない現象です。

良く考えてみてください。

貴方が中国兵で捕虜になり揚子江に連れ出され前は川で後ろには有刺鉄線が有りその場で機関銃で撃たれたら何処に逃げますか。

素直に考えれば12月の冷たい川でも飛び込んで逃げるでしょう。

薄暗い時間なら溺れ死ぬかもしれませんが上手く逃げれば助かるかもしれません。

私が中国兵の立場なら日本兵に確実に殺されるよりは川に飛び込むと思います。

ところが31冊の日記にもテレビに出ている元日本兵の証言には何処にも「川に飛び込んで逃げる中国兵も居た」「川に飛び込んで溺れ死んだ中国兵もいた」とは有りません。

この日記と元日本兵の一番の矛盾とも言えます。

 

20分30秒頃に、
『徴発とは食糧などを略奪する行為で軍隊においても違法行為です。』

これは全くの出鱈目です。
徴発とは特に、軍需物資などを人民などから集める際に見られる行為で、行政的な執行権が伴う場合もある。供出や略奪と異なり、徴発においては対価は支払われる。対価は軍票などによることが多い

取り立てる・徴収・略奪・強奪・略奪・奪略でもなく【徴発】と書かれているのね、対価が払われたから【徴発】と書いている。

このTVでは徴発を略奪だと言いきっている、これは全くの嘘である。

25分頃に捕虜が沢山投降してくると言っている理由は南京が完全に日本軍に占領されたからとの事です。

28分30秒に捕虜の扱いに苦慮して食糧どうするかと言っている。
『捕虜の中に空腹にてはさいを食うものあり』 『中には2~3日中食を取らぬものも有り』

この内容が全くおかしいのです。
何故なら南京は12月13日に日本軍の監視下に置かれます。
なら南京市内有る食糧も有る程度自由に出来る筈です。
TVでは南京まで進軍している最中に徴発を繰り返しているのに、何故か南京市内から徴発はしない事に成ります。
当時南京は20万人も住んでいる大都市です、そこに食糧が足りないことなど有る筈が有りません。
まして、秋が終り冬に入りかけて蓄えている食糧が有る筈です。
南京を攻略したなら食糧が足りないとかは絶対にあり得ない事なのです。
また日本軍の軍票が使えないとは考えにくい。
南京攻略後、敗戦まで8年間も占領していたのだから、南京を攻略した時点で軍票が使えないのなら戦後まで中国で買い物が一切出来ない事に成る。

また南京の虐殺は南京占領ご6週間の間におこなわれたと成っているが、事実ならこれもおかしな話になる。
何故6週間だけなのか、普通に考えれば中国人が全て居なくなるまで続けるのが自然と言える。

 

南京陥落後に撮影された風景

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E9%99%A5%E8%90%BD%E5%BE%8C%E3%81%AB%E6%92%AE%E5%BD%B1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%A2%A8%E6%99%AF&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=kjPHVNT7O6armAX9-4GgBw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1251&bih=683#imgdii=_&imgrc=ZKxm_sSRG17cnM%253A%3B7NLwj-zqOjnLjM%3Bhttp%253A%252F%252Fwww5b.biglobe.ne.jp%252F~kiyozou%252Fnankin%252F1217%252Ffukei_dec17_02.jpg%3Bhttp%253A%252F%252Fplaza.rakuten.co.jp%252Fkiyozou44%252Fdiary%252F200408070000%252F%3B979%3B619

水間政憲南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]

www.youtube.com


南京大虐殺の真実 Nanking Massacre-Japanese Atrocities Against Humanity

www.youtube.com

2分の所

Lady popping her eye out

www.youtube.com

この様にプロパガンダが作られているのです。

 

大阪朝日新聞」昭和十二年十二月十七日

http://www.geocities.jp/yu77799/bakuhuzan.html


未聞の大捕虜群  ”殺さぬ”に狂喜し拍手喝采

句容敗戦が致命傷 沈参謀なげく


【南京にて横田特派員 十六日発】

  両角部隊のため烏龍山、幕府山砲台附近の山地にて捕虜にされた一万四千七百七十七名の南京潰走敵兵は、なにしろ前代未聞の大捕虜群とて捕へた部隊の方が聊かあきれ気味で、こちらは比較にならぬほどの少数のため手が廻りきれぬ始末、まづ銃剣をすてさせ附近の兵営に押しこんだ。

 一ケ師以上兵隊とて寿司づめに押しこんでも二十二棟の大兵舎があふれるばかりの大盛況、○○部隊長が「皇軍はお前達を殺さぬ」とやさしい仁慈の言葉を投げると、手をあげてをがむ、しまひには拍手かつさいして狂喜する始末で、あまりに激変する支那国民性のだらしなさにこんどは皇軍の方で顔まけの態だ それがみな蒋介石の親衛隊で、軍服なども整然と統一された教導総隊の連中なのだ、

 一番弱つたのは食事で、同隊でさへ現地で求めてゐるところへ、これだけの人間に食はせるだけでも大変だ、第一茶碗を一万五千も集めることは到底不可能なので第一夜だけはたうとう食はせることが出来なかった、部隊では早速大小行李の全駄馬をかり集めて食物をかき集めてゐる

 捕虜のうち判明した将校は今までに十名ゐるが筆頭は教導総隊参謀沈博施だ、記者は同兵営保護の部隊田山隊長の紹介で捕はれの沈参謀と対面した、

 兵営からまる腰で出て来た沈参謀は長躯白眥、年齢わづか三十歳の好男子で、外套の襟のらつこといひ、軍服の立派さといひ、みるからに中央軍中有数な青年将校とみうけられた。南京戦に面やつれした姿も淋しく
勝敗は時の運で仕方がありません、日本軍は私らの想像以上に強かつたのです、私は紫金山要塞の参謀を努めてをり、南京戦の全戦局を語る資格を持ちませんが、句容の一線が防げなかったのがそもそも失敗でした。私は奉天省生れで奉天中学の出身中国十五年(昭和七年)奉天の陸軍大学を卒業しましたが、満州事変には参加してをりません、後でいろいろ申上げます、私の心が静まるまでこれ以上きいて下さいますな
となかなかしつかりしたものだ、最後の記者が「今夜は食事を与へられるさうですよ」とつけ加へると

深謝します、私に自動車と護衛さへつけて下されば、富貴山砲台の地下室に何百俵と米を蓄へてあるところにご案内します、そしたらここにゐるみなの者はもとより日本軍にも給与されることが出来ませう

と頭を低くたれた


(「大阪朝日新聞」昭和十二年十二月十七日 二面 中下の三段見出し、二段記事)


この中に 「深謝します、私に自動車と護衛さへつけて下されば、富貴山砲台の地下室に何百俵と米を蓄へてあるところにご案内します、そしたらここにゐるみなの者はもとより日本軍にも給与されることが出来ませう

と頭を低くたれた」となっているので食糧が足りない事はあり得ません。


 
本多勝一『南京への旅』P307-318
栗 原 利 一 証 言

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara02.htm

南京陥落後、無抵抗の捕虜を大量処分したことは事実だ。この事実をいくら日本側が否定しても、中国に生き証人がいくらでもいる以上かくしきれるものではない。事実は事実としてはっきり認め、そのかわり中国側も根拠のない誇大な数字は出さないでほしいと思う。

生きて逃亡する者があれば捕虜全員殺戮の事実が外部へもれて国際間題になるから、一人でも生かしてはならない

この「作戦」で、皆殺し現場を逃亡して生還できた捕虜は「一人もいないと断言できます」と田中(栗原)さんは語る。前後の状況からしてとてもそれは無理なことだったと。


徹夜の「作戦」で、疲れたというような次元とは違って、何ともいいようのない、身も心もへとへとになった無我夢中の感情のまま、死体の脂と燃えかすの墨との惨憶たる格好で朝帰りすると、その日(一八日)は死んだように眠りこんだ。

とても一八日のうちには終えることができない。ヤナギの枝などでカギ棒をつくり、重い死体をひっかけて川へ投げこむ作業が、あくる一九日の昼ごろまでつづいた。


全員をうしろ手にしばって出発したときは午後になっていた。廠舎を出た四列縦隊の長蛇の列は、丘陵を西から迂回して長江側にまわり、四キロか五キロ、長くても六キロ以下の道のりを歩いた。あるいは銃殺の気配を察してか、あるいは渇きに耐えきれずか、行列から突然とびだしてクリーク(水路か沼)にとびこんだ者が、田中(栗原)さんの目にした範囲では二人いた。ただちに水面で射殺された。頭を割られて水面が血に染まるのを見て、以後は逃亡をこころみる者はいなかった。


さらに数珠つなぎにされていたわけではないから、たとえば他の者が歯でほどくこともできる。危険を察知して破れかぶれになり、絶望的反抗をこころみた者がいたのであろうが、うしろ手にしばられた他の大群もそれに加われるというような状況ではなかった。


捕虜が集められた長円形状のかたまりのまわりは、川岸を除いて半円形状に日本軍にかこまれ、たくさんの機関銃も銃口を向けている。このとき田中(栗原)さんがいた位置は、丘陵側の日本兵の列のうち最も東端に近いところだった。

逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な〝人柱〟

一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。
 ほとんど暗くなっていた。

 死体の山のあとかたづけで、この日さらに別の隊が応援に動員された。この段階でドラムカンのガソリンが使われ、死体全体が焼かれた。銃殺・刺殺のまま川に流しては、何かとかたちが残る。可能なかぎり「かたち」をかえて流すためであった。しかしこの大量の死体を、火葬のように骨にまでするほどの燃料はないので、焼かれたあとは黒こげの死体の山が残った。これを長江に流すための作業がまた大変で、とても一八日のうちには終えることができない。ヤナギの枝などでカギ棒をつくり、重い死体をひっかけて川へ投げこむ作業が、あくる一九日の昼ごろまでつづいた。

毎日新聞 昭和59年8月7日
元陸軍伍長、スケッチで証言/南京捕虜1万余人虐殺
-「真実はきちんと後世に伝えたい」-

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara01.htm

「中央の島に一時、やる(送る)ためと言って船を川の中ほどにおいて、船は遠ざけて四方から一斉に攻撃して処理したのである。

栗原さんによると、捕虜を殺したのは、十二月十七日から十八日の夜で、昼過ぎから、捕虜をジュズつなぎにし、収容所から約四キロ離れた揚子江岸に連行した。
 一万人を超える人数のため、全員がそろった時は、もう日が暮れかかっていた。沖合いに中洲があり「あの島に捕虜を収容する」と上官から聞いていたが、突然「撃て」の命令が下った。
 約一時間一斉射撃が続いた。見渡せる範囲の捕虜は必死に逃げ惑うだけで、水平撃ちの弾を避けようと、死体の上にはい上がり高さ三、四メートルの人柱ができた。

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara.html


 
◎栗原利一=伍長・第65連隊第1大隊所属

毎日新聞』昭和59年8月7日付け

記事本多勝一『南京への道』

NEW 【改訂】 付記:上記証言に対しての諸事情(栗原氏のご子息である「核心」さんからの証言)
◎栗原利一スケッチ

 

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara06.htm

戦争を起さぬために
「自分の部隊がやった(殺した)のは一万三五○○人。私自身数えたわけではないが、そう言われたし、新聞にもそう報道された。しかし、暴行・強姦なんてなかった。第一、捕虜のなかには、女なんて一人もいなかったしね」

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara.html#mainiti

4.婦女子の殺害

 これは最近聞いてわかったことですが、本多氏に対する証言では女性や子供は殺害していないようなことでしたが、実際には捕虜の中には家族持ちの捕虜が200人くらいて、その人達の奥さんや子供なども捕虜には含まれていたそうです。そのようなことから、虐殺後の死体の中にも女性や子供の死体があったそうです。
父親が捕虜になれば、それを心配して母親も捕虜になっただろうし、子供も捕虜として一緒についてきたのだろうということです)

嘘が書かれているよ

http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara04.htm


究極的な捏造は『護送だけだったのに小銃で撃ったように書いてある』でしょう。これはありえません。
 水平撃ちの時間については本多氏への証言では1時間になっていますが、私が疑問に思い「1時間では少ないのではないか?」と以前父に聞いた時に、「2時間か3時間か、人柱が何回か出来て立っている人がいなくなるほど撃ち続けた」と言ってましたから。

九二式重機関銃】の弾の運び方は

弾の重量が6トン600キロも消費する事に成る
一台の機関銃が366キロの弾を撃った計算に成る

あり得ません!!!!!!

 

私個人の意見では「NNNドキュメント 「南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記」」はプロパガンダでしょう。

よくよく検証すると矛盾の塊です。

でもこれをみて南京大虐殺を信じ込んでいる人は沢山います。

実際コメント欄にはこれを信じ込んだ意見が沢山書かれています。

自分で調べる事をやめたら簡単に洗脳されるのでしょうね。

私も南京で虐殺などなかったと言う日本兵が証言するまでは信じていましたから。

 

続きを書きましたのでリンク貼ります。

richard-black.hatenablog.com